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とある、館の物語。
目が醒ますと、そこは時代がかった大きなお屋敷の一室。何故か自分の名前も、何故ここに居るのかも思い出せない。
「――そう、名前もないのね」
黒の喪服のようなドレスを着た一人の見目麗しき妖艶な夫人の姿があった。その深い暗黒色は、夜光虫が漂う深海のようでもあり、見つめていると盲目の深海魚のようになって為す術なく水底へと引きずりこまれてしまいそうな…。
「妾(わらわ)が、あなたを拾ったの」
婦人の言葉を聞いて少年の瞳から唐突に涙が溢れ出した。そう、少年には身寄りがなかった。身寄りだけではない。彼には何もなかった。この世で唯一、孤独だった。
「あなた、何処へも行く場所がないのね……?」
婦人の言葉は優しく、少年の心を柔らかく包み込んだ。涙が溢れたのは、少年のことを見つめてくれる人がいる――ただそれだけのことが与えてくれる、安心感からか。婦人の言葉のひとつひとつが、少年へ潤いに満ちた感情を与えてくれる。人間らしさ――そう言って構わないのなら、その人に見られ、言葉をかけられている間だけは、自分が人間なのだということを実感することができるのだから。
「ぼくを……ここに置いてください」
気付けば少年は涙を流しながら婦人に懇願していた。婦人は変わらぬ微笑を浮かべながら言った。
「貴方が望むのなら、“かとる”として、屋敷に置いてあげましょう」
抗うことを知らぬ少年は、彼女の美しさに圧倒されたからか、それともこの幻想的な屋敷醸し出す雰囲気の所為か、婦人に誘われるがまま、ただ――ただ、頷いた。
そして少年は体験する。
屋敷の中で起こる様々な悦楽を。初めて味わう、存在の肯定を。
虐げられる快楽を。生の悦びを……。
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